人新世のパンツ論〈花鳥風月編〉
男性が性的同意を拒否する時
パートナーからの性的同意は得ているのに、それに応じられない男性の多くは、「ペニスが勃たない」ことの不安を理由とする。
今夜は疲れている…。今はセックスをする気分ではない――。
ペニスが勃たないこと、勃つのが遅いこと、勃っても弱いことを、勃起不全又は勃起障害(Erectile Dysfunction/エレクタイル・ディスファンクション)という。性行為を行うのに勃起が得られない、維持できない(途中で萎えてしまう)状態を指し、年齢に関係なく誰でも起こる疾患だ。
まるでゴージャスなミュージカルの前売りチケットを買っておきながら、ヤバい出遅れた、間に合わない、払い戻しすらできないぞ、的な心境によく似ている。そんな人のパンツは、アクシデントを予期していたかのように、暖簾(のれん)を垂らしたような大きめのトランクス。店じまいである。
少しばかり経験的なことを述べているが、私自身もつい半年前、一時的なEDに陥ったことがあった。
3週間ばかり風邪をこじらせたために、ほとんど「勃たなかった」のである。いわゆる“朝勃起”は、なんというのか暖簾をしまい込んだまま、主人が開店時間を忘れているかのごとく、静寂として元気がなかったのだった。
パートナーのいかなる要望があろうが無かろうが、男の性は勃てばやれるし、勃ちそうになかったらやらないまでである。
勃たない要因
その意思の決定権はペニスにあるようにも思われるが、実際は身体的要因と心理的要因の2つが考えられる。
身体的要因
- 動脈硬化、高血圧、糖尿病、生活習慣病
- 神経・血管の障害
- 加齢による身体機能の低下
心理的要因
- 仕事のストレス、プレッシャー
- 性行為に対する不安やトラウマ
これらが複合的な要因になっていることもある。
奈良林先生のHOW TO SEXは懐かしいけれど…
学生の頃、医学博士・奈良林祥氏の名著『新HOW TO SEX 性についての方法』(KKベストセラーズ/1974年初版)をむさぼり読んだ。
その本の、「男が不能者(インポテンス)になる時」の節で、今でいうEDに関する記述となっているが、その時代に合わせて少々辛辣なことばで読者に投げかかける。
新婚夫婦がハワイ旅行に行ったその1週間、夫が勃たず、ついに妻は処女のままで東京に帰ってきた――という話をたたき台に、こんな見出しである。「不能という名の欠陥車 ママゴジラの過保護棒やか、オナニーもできない真面目坊や」。
新婚生活の性生活がうまくいかず、数ヶ月経ってもEDである場合を、「原発性インポテンス」という。
夫のペニスの勃起にブレーキをかける無意識の心の働きがある。それがマザコンであり、もう一つは性的ノイローゼ(ペニスの悩みやセックスの不安)、もう一つはセックスを罪悪視して思春期を迎え、オナニーを十分にしてこなかった場合、などとしている。
また、運動神経が鈍いとインポになりやすい、というこれらのことから奈良林氏が導き出した対処法は、「精神分析+オナニーの訓練+ジムに通って運動神経を養成する」であった。
奈良林氏のもののいいようはともかくとして、決して間違ったことはいっていない気がする。生活習慣病を改善し、懸命にオナニーに励み、ストレスを発散すること。そして過去のトラウマに、くよくよしないこと――。
自分のペニスを直視する
昔、私はある友人と、栃木県の鬼怒川温泉に行き、大人の隠れ観光スポットの「日光秘宝館」に入って観覧したことがあった。
古今東西の性とセックスの歴史や風習、言説、そのめくるめく神秘の世界。そうした様々なセクシュアル情報を、アトラクション的オブジェの展示などで楽しむことができるミュージアムであった。ちなみに残念ながら、いまその鬼怒川の地に秘宝館のミュージアムは無い。閉館してしまったのである。
興味本位で訪れたのだったが、ご当地で温泉にもつかり、しみじみとした気持ちで友人と性について語り合った。不思議と下世話な感じにはならず、お互いの性器の大きさや性欲についても語り合ったが、共通していたのは、学生の頃のほうが今より、勃起がギンギンになって痛いほどだった――ということ。
そんなふうに若返りへの欲を吐露したのだったが、思うに、若い頃のペニスというのはどうもまだ未熟で、じゅうぶんな大きさや張り具合に到達していなかったのではなかったか。
春画における性器の大きさ
たしか秘宝館でも見た気がするが、江戸期の春画は意外と写実性に富んで生々しく、相対的に稚児(ちご)の性器や包茎は見下されていたのだった。
例えば、喜多川歌麿の「ねがひの糸ぐち」は大錦十三枚組物で、寛政11(1799)年(角匠蔵)。
この絵に関しては、膣に食い込んだペニスの先は見えない――。情愛と情欲の執念と快楽が言語表現を超えてくるすさまじい秘画である。
また、葛飾北斎も春画の天才だった。「縁結出雲杉」の第十図は、蚊帳の中の男女を描いている。
男は女の腰をひざに乗せ、かかえるようにして女陰をまさぐる。女は男のさおを片足で愛撫し、接吻を交わしている。完璧な大人どうしの「性図」である。
それにしても、男の竿はあまりに大きく直情的だ。『わらう春画』(朝日新書)の著者オフェル・シャガン氏はこう述べる。
春画に描かれるペニスが巨大である理由は、男性のペニスのサイズ・コンプレックスを逆撫でしないため。あえて標準的なサイズを度外視し、巨根を描く。ファンタジーである。あくまでユーモラスなスタンスで性の多様さやおおらかさを表現しているのだと――。
江戸期ではペニスが勃起することを「生える(おえる)」というが、男性にとってしもの悩みの筆頭は、やはりEDだったに違いない。だがそういったこともおそらく、ひょっとこ面のようにユーモラスを交えてとらえていたのではないか。
江戸期において、ペニスの逸物のことを、「紫色雁高」(ししきがんこう)といった。色は紫がかった黒で、はちきれんばかりに勃起したペニスを指す。
《へのこはどくどくいきり立ち、紫色の大雁高、鈴口に淫水を含み…》
「八寸胴返」(はっすんどうがえし)はペニスの特級品、特別な巨根を指していった。
《淫水流した太腿のあたり、男の体へひちゃひちゃくっつけ、そのまま入れし大魔羅は節々立ったる八寸胴返…》
以上、永井義男著『江戸の性語辞典』(朝日新書)より拠った。
まざまざと紫色雁高
女性からすればアホらしいと思うかもしれないが、男に生まれた者たちはいつしか巨根のペニスに憧れるものなのである。巨根ということばではいい足りない、まさに「紫色雁高」にあこがれ、「八寸胴返」に成り得ないものかと夢想する。
EDにおける心理的要因の根本には、そうした願望が打ち破られたショックに由来するのではないだろうか。むしろ女性からではなく、同性の男どもに「おまえのペニスは小せえな」といわれれば、それだけ心的外傷になりうるのである。
もし軽度のEDに陥っているのであれば、なんらくよくよしないことである。あれは、ファンタジーなのだから。
いや、待て。
まずお気に入りのパンツを穿いて、力いっぱい引き裂いてみよう。できれば妻の前で実演するのがいい。
尻がむき出しとなる。
ほら、見よ。破れたパンツの形は、まるでジョックストラップのようではないか。
それまでしきりにおとなしくしていたペニスは、水を得た金魚のようにはねかえってくる。はねかえって、徐々に硬くなっていく。忘れかけてしまっていたあの頃の痛さがよみがえってきた。
そこで現れたのは、これぞ比倫を絶した「紫色雁高」ではないか。本物である。このグランス(亀頭)の張り、うっ血したさおの高潮感。春画の世界に匹敵しているではないか。
これがまさに、ジョックストラップ効果がよびさます「調子を上げるパンツ」の姿なのであった。
ただ、男性諸君にいっておく。
ここまでは、いわば男の涙ぐましい努力の結果のファンタジーにすぎない。とはいっても、この写真、決してAIで作り上げた模造画ではなく、本当に本物の私の苦心の勃起である。実際毎日、これくらいには起つのである。
それよりも知っておいてほしい大事なことは、女性は性交の時、あんまり硬く張ったペニスを挿入されることを好まない。強くいきがることをしてほしくない。もっと優しく、もっと優しく、ゆっくりと。
なので男性諸君、挿入の際は、むしろ興奮を抑えて、ごく有り体の勃起でよろしい。女性の膣は、「紫色雁高」なんて望んでいないから――。たっぷりと愛液をつかって…。