人新世のパンツ論〈花鳥風月編〉
この「人新世のパンツ論」の前シリーズ(特別編を含む)は、2023年11月に始まり、2025年1月にその最終章の特別編が閉じられた(「人新世のパンツ論⑲―特別編Ⅳ・下着が未来の自分を創りだす」)。だがこれから、新たなシリーズが始まる。
ちなみに、ここでいうパンツとは、男性が穿く下着(アンダーウェア)のこととご理解いただきたい。
語るべきか語らぬべきか
その1月、全てが終わって私は解放されたのだった。もうパンツのことは書かなくてもいいんだなと――。
しかし何か、手落ちがあるなということにもずっと気づいていた。書き手である私=〈自らの男性部〉は、プライベートゾーンとして秘匿・隠蔽されたまま、何も語られていない…。もしかすると、その語られなかったことで、このパンツ論は水泡に帰すのではないかと――。
本来、プライベートゾーンについては、自ら語るべきものではないと常識的に思う。一般の男性は、自らの“体験記”として、じゅうぶんそれについて知り尽くしてきただろうし、向き合ってもいるはずだ。だいたいのところ、男性部なんて誰だって同じ仕様じゃないかと推測する中で、露骨に無闇矢鱈と自分のアレのことを書いて晒すのは、良俗に反するんじゃないか。しかしこの考えも何か、いち早く畳んで終止符を打ち、逃げの抗弁ようにも思えた。
だから、〈花鳥風月編〉では、逃げない。
前シリーズを通じて、これまで私が〈自らの男性部〉に関して堅く閉ざして語らなかったことは3つあるのだ。
それを一旦ここで表明し、次回よりその都度詳しく語っていくことになると思う。〈花鳥風月編〉のテーマは「調子を上げるパンツ」。そうであるのだから、〈自らの男性部〉について語らなければ、何の意味もないだろう。
ところで、プライベートゾーンを隠蔽する(守る)意味でのパンツであればこそ、それが決して淫らで汚れたものではないことを示す必要にも駆られた。
パーソナリティとしてのパンツが目指すものは、単におしゃれだけではなく、その活用性・利用性の意義ではないのか。その意義は、日常生活での生理現象の保護だけを指すのではない。男性には、「射精責任」というのがある。大変重い責任である。それを促すためには、準備とケアと鍛えることが大事になってくる。そのことの要請が、昔の学校教育では実に曖昧でいい加減であったのだけれど、第二次性徴期以降の男性性のメンタリティとフィジカルに重大な楔を打つことになると私は思うのである。それを語るために、私はカミングアウトする。
3つのカミングアウト
具体的に、いったい何をカミングアウトするというのか。
私こと青沼ペトロが、これ以降の稿で語っていくべきこと、〈自らの男性部〉のいわば隠蔽されていた秘密は、次の3つに関する事柄である。
- 私はピュービックヘア(陰毛)を剃っていて、だいたいのところ無毛に近い。
- 私はグランス(亀頭)が普段から露出している(いわゆる仮性包茎ではない)。
- 私は忌まわしいED(勃起不全)を未然に防ぐ努力を賢明にしている。
すなわち、自分のヘアのこと、グランスのこと、イレクションについてこれから隠さず述べていこうということ。
これらの事柄は、穿くパンツがどのようにそれを機能的にケアしてくれているのか、あるいはどんなパンツを穿けば、それが機能的に「調子を上げるパンツ」となりうるのかについて、思索的であるかと思える。また、現代的な男性性の価値観とこれらの事柄とがどう結びついていくのかについても、その都度語っていくことになるだろう。
さあ、恐ろしい話はしたくない。真面目に楽しい話をしていきたいのである。