人新世のパンツ論〈花鳥風月編〉
ただならぬ緊急速報…。相次ぐ熱中症患者が搬送されるニュースが流れた。
これは悪夢だ。悪夢に違いない――。
今夏、35度を超える猛暑日が続いた。酷暑である。じっとしているだけでも、暑くて息が苦しくなる。屋外で体操をしたり、飛び跳ねたりするなどもってのほか。
じっとしていろ、じっとしていなければ、おまえは死ぬぞ。死にたければ勝手にしやがれ。
悪魔の天使がそう囁いているかのようだ。だが、俺は絶対に死にたくない。愛するパピ子のために、俺はいま死ぬわけにはいかないのだ――。
真夜中の悪夢
その日の深夜、俺はどういうわけだか、ワンタンスープが食べたくなって、ベッドから飛び起きた。
台所へ行き、お湯を沸かし、買っておいたカップ麺に熱湯を注いだ。
3分経過。
しんしんと虫の鳴き声がきこえる中、湯気の立つ塩味の利いたスープを、ゴクリと飲み干した。
熱々のワンタンが喉を通り過ぎる。俺はこれまでに味わったことのない極楽を感じた。それはあまりにも短い束の間の、刹那の極楽であった。
しかし――。
たちまち、体内が熱を帯びてきたのだ。俺は猛烈な暑さを感じた。全身から汗が噴き出し、まるで火だるまになったかのようだ。
汗が止まらない。暑すぎる。
俺のカラダから、どんどんと汗が噴き出てきた。首筋から、脇の下から、腿の下から。おもむろにフェイスタオルを手に取り、体中の汗を拭き取った。瞬く間にタオルはびしょ濡れになった。
カラダにこもる暑さに耐えられなくなった俺は、勢いよくシャツを脱いだ。
ユニクロのステテコも脱いだ。
身につけているのは、薄青色のアンダーウェアのパンツだけとなった。ジロウグモが冷蔵庫の端から逃げていった。俺はなんとか体内の熱を逃がす努力を懸命に続けた。
何も着ていたくないが、来客
明くる日の午後は、もっと酷かった。
猛烈な日差しが、窓ガラスのカーテンを突き破り、室内に熱波となって襲いかかった。
もはや、シャツもステテコも不要の産物となった。パンツにこそ頼らなければならないのは、我が身の自然体と社会的な道徳心と、その規範を守ろうとする大人としての他愛ない分別だった。
これ以上は脱げない――。
しかし、それがこの夏、私が生きられる唯一の選択肢のようにも思われた。
冷静になって考えてみたっていい。真夏の酷暑というカオスから、己が唯一解放される手段は、パンツを脱ぐ以外に考えられなかった。とにかく暑すぎたのだ。
だが、急に、誰か訪問者が来たら、どうする?
さすがにスッポンポンのカラダでは、急な来客と逢瀬することはできない。いざとなれば、バスローブを羽織ればいい。いや、それではいかにも風呂上がりという感じで、かえって怪しい。遅い時間の訪問者ならなんとかなるが、真昼の最中から、客人に、
〈そのバスローブ、脱いだらもしかしてハダカ?〉
と想像させてしまうことになる。それは単純に私が恥ずかしい。賢明なビジネスマンだったりする訪問者に対し、あまりにも不謹慎すぎる光景ではないのか。
嫌だね、それは――。
とにかくくだらない想像であった。誰か来た時だけ、ステテコを穿き、シャツを着ればいいだけの話じゃないの? しかしね、うち、訪問者が意外と多いのだよ。
ピンポーン。「宅急便でーす」
ピンポーン。「郵便でーす」
ピンポーン。「あの、お忙しいところ恐縮なんですが、これ、新発売の北海道牛乳のヨーグルトなんですよ。よろしければ試食していただけませんか」
牛乳屋さんは試供品の牛乳ビンを、3種類も置いていったりする。多分、買わないとは思う。でもそれ、飲みますよ。飲ませていただきますよ。
ピンポーン。「向かいの川島ですぅ。ごめんなさいね。昨日、仙台の実家から帰ってきたんですけど、よろしかったらこれ」
仙台の、美味しそうな名産品をもらって、それを冷蔵庫にしまう。
そんなふうにして来客が次々と現れたのでは、スッポンポンでいるどころではない。ステテコを穿きシャツを着、また暑くなってハダカになり、落ち着かないうちにまた来客でステテコを穿きシャツを着、暑いから脱いで、またピンポーンと。
体温が上がって、下がるどころの話ではなく、我が夏の冷涼なるひとときはいっこうに訪れてこないではないか。とにかくね、いちいちステテコを穿きなおすのは面倒くさいのよ。汗がいちいち吹き出すし。なんとかならない? この生活。エアコンが古いんですよ。とにかく。
そんなわけで、誰が来ても、はーいといって、玄関のドアを開け、私が仮にパンツ一丁であっても見過ごしてくれるような形のパンツを穿いていればいいのではないかと思いついた。それだったらいちいちステテコを穿く必要はないだろうと。シャツはまあ、着るけれど。そんなパンツ一丁の格好で一日過ごせる快適なパンツは、ないものかしらん。
ブキャナン登場
それがね、ネットショップで探してみたら、なんか、ありそうなのだ。
場合によっては、そのパンツ一丁だけで、まあシャツは着るけれど、近所のコンビニでお気に入りのワンタンスープのカップ麺を買うことだってできるかもしれないのだよ。
それって、いいじゃん。
酷暑でも穿いていられる涼しく快適なパンツのポイントはこれ↓↓
●極悪非道な酷暑でもしのげるシンプルな構造
●誰が見てもそれがパンツだとは思わないデザイン
●誰が見てもそれは絶対スポーツウェアでしょと思うパンツ
●ところがどっこいそれはスポーツウェアではなくて正真正銘、アンダーウェアなのだよ
昔の夏なら、ステテコ穿いてりゃ快適で涼しかった。でも、いまの夏は、それでも暑い。股下の生地でさえ暑くて邪魔に思えてきてしまう。ならば、股下の生地がないほうがいい。ビキニタイプはモロすぎてダメ。トランクスタイプがよろしい。それがアンダーウェアっぽくなくて、トレパンぽいこと。
ちなみに、大昔でいうと、フンドシみたいなのが理想的ではあった。しかしね、今の時代、フンドシで外は歩けないよ。あのスタイルでは、とてもコンビニには寄れないわ。マックでダブルバーガーのテイクアウトはできないねえ。
パンツなのに絶対パンツに見えないこと。それが条件。なんといっても、穿いてる感覚がないほど涼しく快適と思えるパンツがいい。そんなパンツがほしいと思ってた。それがあった。
実際に穿いてみて、おお――と思ったね。
これ、トレパンでしょ。いや、トレパンじゃないの。アンダーウェアなの。めくったらちゃんと、男性自身を収めてくれているの。サイドに切れ込みがあって、圧迫感がない。いわば暖簾から腿がときおり露出するみたいに。
涼しい。ぜんぜん暑くない。ムレない。動きやすい。
昔だったら、別荘地の軽井沢のテニスコートで、これ穿いてても普通にテニスできる感じ。トレパンじゃなくてアンダーウェアなのに。
こんなおしゃれでシンプルな構造のパンツを、私はブキャナンと名付けたのだった。ブキャナン。一種の隠語である。だって、パンツであることを隠しているのだから、アンダーウェアの◯◯タイプなんて呼称つけられないでしょう。だから、ブキャナン。
このブキャナンは、某ショップの某メーカーで販売されていたもので、穿いてみてその快適さがよくわかった。
しかしまだ、これ一丁で、まあシャツは着るけれど、コンビニでワンタンスープが買えるかどうかは、試していない。
試そうと思って家の外の小道を歩いてみた瞬間、夢から覚めた。そう、これは全て夢だったのだ。
そんな快適な、お気楽なパンツが――あるわけないじゃない。
真夏の夜の夢。買い替えたばかりのエアコンで、私の足元は少々冷え気味なのであった。ハックション。