人新世のパンツ論〈花鳥風月編〉
恋をした時、あなたはどんなパンツ(下着)を穿くのですか?
私は2018年――もう8年前になるけれど、高野さんたちが作った赤パンを買って穿いた(「赤いパンツの話〈一〉」参照)。
それは赤いパンツの話から始まった
2018年11月10日付朝日新聞夕刊「過疎の町『赤パン』でエネルギー」。
宮城県丸森町の町おこしの一環。20代だった高野真一さんと豊田拓弥さんが、男性用の赤パンツを販売。「ザミラ」という株式会社を起こした。代表は高野さん。
穿きやすかった。フリーサイズ。収縮性がある。前も後ろも同じ形で、どちらを前にして穿いてもいい。色は赤だけ。消滅可能性都市の丸森町を守る赤。それは大いに力となったであろうカラーだ。
私が穿き続けてきた赤パンが、経年でそろそろ役目を終える頃かなと思い、最後に写真を撮った。長い付き合いだった。
想い出す。その頃高野さんとは、Facebookのメッセンジャーかなにかで、何度かやりとりをしたことがあった。気さくな人だった。人情に厚い面があった。
このパンツで面白いのは、ある部分にラテン語の“memento mori”(メメント・モリ)と記されていること。死ぬことを忘れるな。
それは、ちょうど会陰のところ。逆さにすると、“memento vivere”(メメント・ヴィヴェレ)。生きることを忘れるな――。
死ぬことを恐れず、生きることを想え。
生きているかぎり死ぬことは免れないが、生きることもまたそうして切ない。ゆえに、パンツは、その人の最後を看取るもの――でもあるのかもしれない。
若い人が考えたメッセージとしては、それもなんだか切ない。そんなことすら考えずに闇雲に生きている若者だって多いと思うが、それはそうとして、会陰のところにそんな文字が刻まれてあると、穿いたほうとしては、なんだかこそばゆい。
私にとっては、というか、みんなそうだと思うのだけれど、会陰はいわゆる「性感帯」だ。さわるとくすぐったいし、私は指でいじっていると快感を覚えて、すぐに反応してしまう。
会陰は秘めたる場所であり、つまりは“大事な急所”なのであって、自分だけの隠し場所、ある意味において自分だけがパーソナルとして戻れる場所でもあるのだ。
パンツ愛は生きること
私の知る限りにおいて、この赤パンは販売していない。残されたウェブサイトは、まるで無人の宇宙船の内部のようで、永遠と思えるような時間を、漂っている。それが何を意味するかはわからない。少なくとも赤パンは、SOLD OUTなのである。
だから、役目を終えた赤パンの後を継ぐ、代わりになるものは何もないのだ。メメント・モリ。物語はこれで終わりだ。
8年前の恋人はもういない。今は新しい恋人。新しい生活に、新しい食べ物。
恋をした時、あなたはどんなパンツを穿くのですか?