人新世のパンツ論〈花鳥風月編〉
時代はトランクスからボクサーへ
ワコール(WACOAL)が2008年に発表した「男性の心理と下着に関する意識調査」(首都圏の15歳から64歳の男性を対象)では、男性の「8割弱」がトランクスのパンツを選んで穿いている――という結果だった(「人新世のパンツ論⑪―安心安全なトランクスと海パンの話」)。その頃までトランクスはメジャーであったのだ。
ところが、2025年版の「男性の下着に関する意識調査」では、劇的に状況が変化したことがうかがえる。
20代から50代の男性の半数が、ボクサータイプを好んで選び、なんとトランクスは「34.4%」と、17年前と比較して大きく後退し、その座が奪われた感がある。いわゆる“トランクス派”が激減した結果となったのだ(※WACOALのウェブサイト「【2025年版 男性の下着に関する意識調査】 男性の下着選びは“快適さ”がカギ! 調査で判明したニーズに応える[超気持ちいいパンツ]新登場」)。
これはつまり、“トランクス派”の旧世代が調査対象から外れ、若年層が支持する“ボクサータイプ派”が台頭して主流となった、いわばモニュメンタルな男性下着新時代――ということがいえそうなのである。長かったトランクス専制主義の時代は終わり、今時の男性は、ボクサータイプを好んで選んでいることがはっきりした。
「勝負パンツ」は死後なのか?
しかしこの調査では、別の面白い結果も出ている。
自分に気合を入れるための「勝負パンツ」を持っているか? という質問には、8割近くが「持っていない」と答えている。「持っている」と答えた2割の男性は、20代が占めている結果が出た。
これもまた、今時代の世相や社会状況をよく表した現象ではないだろうか。この世に生きる中で、勝負するとはなんぞや?――。いうなれば己の開拓期に、パンツに願掛けする余裕も知性もないということであり、なにかに勝負をかけることとパンツとの関係が薄れてしまっている――ということの表れではないか。もはや「勝負パンツ」は死語に近いのかもしれない。
そんなことを述べつつ私自身も、特段の「勝負パンツ」というものを所有していないことに気づかされる。
ただし、これまで〈花鳥風月編〉で述べてきたように、男性が下着を身につける観点において、欲求を満たしていくだけの自身の性機能を堅持するうえで、「調子を上げるパンツ」という概念はとても有効だと考えている。
例を一つ挙げるならば、それはもう筆頭として、ジョックストラップ型を声高に支持したいところなのだが、ここではまだ、そのジョックストラップについての言及は避けたい。
ここでの本題は、あくまでトランクスである。
トランクスって、いったい何者?
前回の「⑫アメリカンなスキャンティ」で述べたように、アメリカのジョッキー社が画期的なブリーフタイプのパンツを発明する以前においては、世界的に見て男性下着のパンツはトランクス型であった。
日本では猿股(さるまた)といい、海外から流入してきたトランクス型(丈が短め)を、“西洋褌”(せいようふんどし)と呼んでいた。
“西洋褌”とは、まことに気骨な表現である。あっちから渡ってきたものは、なんでも西洋――と付ければよかった。昭和初期の子どもたちは一般的に、フンドシではなく木綿製の“西洋褌”風なものを穿いていた、と思われる(「⑪健康優良児とブリロのパンツ」参照)。
レナウンのパンツは王道
1年ほど前、苦心してレナウンのトランクス(クルーザー/“CRUISER”)を入手したのだった。それもかなり古め――昭和期と思われる――のデッドストックで、私も試着する前にはおもわず武者震いしてしまった。
着ごこちとしては、「古臭い」という感覚はなく、まさにトランクスらしい王道の穿き心地であった。
おそらくこの感覚は、男性特有の感覚というしかない。
下腹部から股にかけて、単純に布で覆われているだけのパンツであり、“猿の股”というだけのことはある。《男性部》がかくも雄々しく、かつ重々しく垂れ下がっているという感じで、付け足す感覚は他に何もない。
内側は隙間だらけで開け放っており、腰のゴムを真横に引っ張れば、垂れ下がった《男性部》が躊躇なくそのままの姿でとらえることができる。
トランクス型はピューリタン志向
しかし、外見という点でトランクス型は、“プライベートゾーンの要塞”ともいうべき堅牢さがある。
パンツの中の実態を他者に想像させうるような手がかりを、外側から1ミリも発見することができない構造なのだ。このパンツを誰かにチラ見されたとしても、陰毛が濃いとか薄いとか、《男性部》が上向きになっているとか下向きになっているとか、大きさや形を想像させる片鱗を、すらっとした布の状態が帳消しにしてしまっているのである。
それらの要件でトランクス型は、「露出度ゼロ」を保てるパンツといっていい。穿いている方はしごく安心するのである。
とはいえ、例外事項は、ある――。その話は後回しにする。
普段私はボクサータイプのパンツを穿いているので、ごくたまにトランクス型を穿くと、気づくことがある。
どうもトランクス型を穿いている時、アレが元気ではないのである。しょぼくれたまま、長いスリープ状態を保っているように感じられる。
トランクス型は、《男性部》の快活さを制限もしくは減退させる効果があるのではないか。とくに朝方などはそれを感じる。
そもそも身体が佇立している時など、このパンツは隙間だらけのせいで、生地面が鼠径部や会陰を全く刺激しないのだ。そのため、勃起する機会が与えられないのである。
その点のみ結論を述べると、トランクス型は実に謹厳な、その手の欲求を好まない潔癖なパンツといえそうで、ピューリタンなのである。
この効果をうまく活用すれば、勤勉な社会活動に最適であり、それ自体に集中でき、性的に男であることをすっかり忘れさせてくれる。そう、夜の営みもすっかり忘れさせてくれる。
本来的にもっと快活であるべき《男性部》は、トランクス型を穿けばたちまち小便をするだけの単一な公器となるのであった。その点でちょっと注意が必要である。
性欲が喪われてきた時代
若い頃からずっとトランクス一辺倒で中年以降も穿き続けてきた男性は、おそらくその性欲の源泉が寡少であることに、気づいていない。
しかし客観的には、公序良俗性を慮ったトランクス型を穿き続けていると、男としての性欲を喪失してしまうのではないか、いや、もうずっと過去に遡って、その機会をことごとく喪ってしまっていたのではないか――という念に駆られる。唖然とする瞬間である。
その分、皮肉でもなんでもないが、社会奉仕にはうってつけで従順なのだ。若い世代が好んでトランクス型を穿き続けてきた旧時代は、まさにその禁欲的な罠が潜んでいたことも知らずに、主流派でメジャーであった。
にわかに宗徒の声が聞こえてくる。欲求を乱すな…。子どもは大人しくしていろ…。そのために、黙ってトランクスを穿いておけ――。
禍々しいとはあえていわないでおく。お父さんの出世のために、あるいは若者の受験勉強に励む頃合いには、最適なパンツだ。だがその結果、社会全体としてみれば、高度経済成長の挙句の果てに、迂闊にもそのおまけとして、「少子化」という代償に苦しむことになってしまった。
性欲喪失=少子化という仮説の構図はあまりにも短絡しすぎるけれど、因果関係は少なからずあると私は思っている。それをトランクス型のパンツが牽引していたのではないか。
だから、「調子を上げるパンツ」としては、トランクス型はもう、今の風潮には合わないのではないかと思うのだ。
それでもあなたはトランクスを穿く
それはたいへんいい気構えだ。よろしい。トランクス型のメリットを挙げておこう。
- 風通しがいい
- 見た目の清潔感がある
- 《男性部》の存在感をほぼ打ち消してしまえる
パンツのみで家中歩き回れる
いっぽう、トランクス型を穿くことでの災難(デメリット)について。
- 坐っている状態だと、ふぐり(陰嚢)が見えてしまうことがある。それに付随して、蟻の門渡りも見えてしまうことがある
- 生地面との接触性が乏しく開放的なため、おしっこをした後、太腿にまで残尿がしたたり落ちることがある。残尿の吸収性が他のパンツと比べて乏しいということ
チラ見されても相手に高揚感を与えないパンツ。トランクス型の要諦はまさにそれ。
生真面目さを整えるだけの効果が、外面でも内面でも有されている面目躍如のパンツ。器用に活用したいものである。
しかしながら、〈花鳥風月編〉の主題である「調子を上げるパンツ」とはかけ離れてしまっている点は、已むを得ないパンツである。
パンツとハサミは使いようで、やはりピューリタンではなく、絶対王政的なパンツは所持していたいと思ってしまう。さながら、パンツにもある程度の背徳感が必要だ。