エロ本という名の『平凡パンチ』

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どこの馬の骨だ青沼ペトロ

『平凡パンチ』に囚われた男の哀しい享楽
 

昭和の男性向け雑誌『平凡パンチ』1980年1月21日号

 
 厳密にいうと、『平凡パンチ』は“エロ本”ではない。あくまで男性向けの、大衆雑誌である。だが子どもたちからすれば、大人の男性が読むこの雑誌は、紛れもなく“エロ本”なのであった――。
 

巷に溢れていたエロ

 あの頃の記憶はなかなか忘れられない――。
 
 小学2年生(8歳)の時。
 友達と二人で学校に向かう通学途中の道端で、一冊の“エロ本”を見つけた。その場で私たちは大騒ぎとなる。
 雨風にさらされ、さらに日干しされてヨレヨレになっていその雑誌は、なんと女性の“下着姿のヌード”のページが開かれたまま、落ちていたのである。おっぱいが丸出しであった。
 
 現代の若者にとって、“エロ本”という定義を理解するのは、もはや空想の産物なのではないか。エロい本、スケベな本、それはいったい何なのか?
 主に、女性のヌードばかりをグラビアにした成人男性向け雑誌(18禁)――ということになるが、少なくとも昭和期において、何らかのエロというのは、お金を出して買うものであった。今時代のインターネット検索で、ほとんど錯乱状態にまで氾濫する女性のヌードや陰部を眺める――というのとは根本から違うのだ。
 尤も当時、お金を出さないでエロが楽しめるのはテレビであった。テレビ番組では女性と子どもたちのヌードが盛んであった。親たちはそういうものから子どもの視線をそらすのに神経質になったくらいだ。
 
 それ以外では基本的に、エロはお金を出して買うもの。
 昔は“ビニ本”というのもあった。ビニール袋に入れられて販売されていた成人男性向け雑誌(18禁)。それだけをかき集めて並べた、いわゆる“アダルト本コーナー”を設けた書店は当たり前のようにあったし、街の片隅には、「“ビニ本”が買える自動販売機」が置いてあったりした。子どもたちはエロに対して欲求不満を募らせることになるのだが、高校生くらいになると、容赦なく強烈なエロの世界に飛び込むことができたわけである。
 

こういうページがわざと開かれて路上に落ちていたりした昭和期の日本

 

路上に落ちていたエロ雑誌

 友達はその落ちていた雑誌を拾い上げた。
 これを学校に持っていくことはどうあってもできない。先生に見つかったら、タダでは済まないことはわかっている。まだ小学生の分際だから。
 ただし、この場に落ちていた“エロ本”を眺めたまま、ただ通り過ぎるのはあまりにも損…というか、タダのアホだ――というのが、当時の男の子の感覚であり、まさに巷にエロが溢れる「エロ狂の時代」なのであった。
 

いい感じで胸を突き出してくれているモデルの松本ユミさん


 どこかにそれを、隠しておかなければならない。
 ちょうど塀と塀に“隙間がある”隠し場所を見つけ、そこに雑誌を差し込んだ。そうして私と友達は、健全なる良い子のふりをして学校に向かった。気分は爽快である。
 
 いまその時の“エロ本”を再現してみようとすれば、まさに『平凡パンチ』が相応しいと思われる。
 時代は1980年。1月21日号の『平凡パンチ』の表紙モデルは、烏丸せつこさん。
 

「松坂慶子さんがターゲットです。」なんて堂々としている

 
 カメラマンは、沿道晴穂氏。
 少し小ぶりだけれど豊満な胸、薄桃色の乳房。そして丸みを帯びた尻、ほのかに赤らんだ顔。白く艷やかな肌――。
 水しぶきを浴びた裸の上半身は、女体の恥じらいがさらけ出された冷雨の妖精のようである。
 

山陰路の黄色いパンティ

 8歳の少年は、“1980年”の世相をどう見ていたか。

 その2年前、いわゆるインベーダーゲームが大流行。ゲームセンターや喫茶店、スナック、スーパーマーケットなど、タイトーの「スペース・インベーダー」のテーブル型筐体が設置され、独特の軽快な電子音があちらこちらで鳴り響いていた時代。
 地元のゲームセンターは街へ出向かないと無かったので、通学途中にあったスーパーマーケットで、よくインベーダーゲームをやった。その後のドンキーコングのアーケードも盛んにプレイしたものである。
 
 4月、松田聖子デビュー。またたく間にスター・アイドルとなり、人気急上昇。デビュー曲は「裸足の季節」。
 12月、元ビートルズのジョン・レノンさんが、銃で撃たれ死亡する事件があった。単独犯の25歳の青年マーク・チャップマン(Mark David Chapman)の愛読書云々でも話題騒然となった。
 

グラビアとして強烈な印象の萩尾なおみさん

 
 カメラマンは辻幣氏。
 漁船の網によりかかる彼女の裸体と黄色いパンティが、あまりにもエロティックである。そのレースの隙間から、うっすらと黒く染まった秘部が想像できる。
 乳房が海を見つめているのだ。私は海の子。磯の香りが、日本人女性の幼げな快楽を思わせる――。
 

子どもたちのエロを取り上げるな

 ここに載せた『平凡パンチ』の女性ヌード・フォトは、あくまで当時、路上に落ちていたエロ雑誌に興奮した光景のイメージをつかんでもらうための材料にすぎない。
 
 教室では、男の子のあいだで、「“エロ本”を見つけた!!」と、その話で持ちきりとなるのである。それは大人たちの性的な興奮とは少し違う、“大発見”に対する漠然とした興奮といっていい。何を見たかということよりも、ヤバいものを発見した興奮なのである。
 
 いわずもがな、私と友達の二人は、放課後にもう一度あの場所に行き、たっぷりとその本の有益なるエキスを吸い上げるつもりであったし、とにかくもっとしっかりヌードを直視したいという気持ちが強かった。それでもやはり、小学2年生の少年にとっては、大人たちの性的な興奮とは別物なのだ。

 子どもたちの感覚では、女性の裸や下着はエロといい、男性の大人がキオスク(当時の国鉄駅の売店)などで買う雑誌にはほとんど全て、女性の裸の写真が載っている――ことを常識としていた。
 だから、一応、子どもの分際でそれを見てはいけないし、見ていると怒られる、という日常があった。すなわち、大人たちが知らない、見ていないところでエロの世界を楽しむことを、男の子たちはそれも常識としていたのだった。
 
 大事なことは、子どもたちのエロの世界において、それ以上の知的な理屈や、性表現の具体的な事柄、ましてや性に関する知識などは空っぽであり、何らそれを教訓としないことも付け加えておかなければならない。
 
 さっそく放課後、隠しておいた“エロ本”を持ち出して、自分たちの背の高さをはるかに超える草むらの中で、それをじっくりと眺めた。
 長い髪、赤い唇、桃色の乳首、恐ろしく深いヘソの穴――。うっすらとした下着からは、なにかが見えそうだが、何が見えそうなのか子どもだからよくわかっていない。
 
 決してそれは、下腹部のあたりが固くなる――という感じの興奮にはなっていない。あくまで、大人から見てはいけないといわれていたものを隠れて秘密裏に見ている、という意味での興奮。ただし、女の裸、女の乳房であることには変わりなく、未成熟な興奮であったといっていい。
 
 落ちていた雑誌が、かなりの確率で『平凡パンチ』であったことの確証はないのだ。ただ、いまこうして『平凡パンチ』を眺めれば、それはほとんど確証といっていいのだと、思うのである。
 大人が路上に捨ててしまえるくらいのエロ、日常茶飯なエロであったことを考えると、もっと高価で秘匿性の高い“ビニ本”ではなく、数百円で買えて誰でも買って読んでいた雑誌であった可能性のほうが高い。ずばりそれは『平凡パンチ』であったと、私は思うのである。男の子たちにとって、それを路上に捨ててくれた人は、神であった。
 

仮構としての大人の体験へ

 男の子たちが掻き立てる性欲の対象としては、ビジュアルというあまりにも単純なものであるがゆえに、くりかえしそれを眺めるだけの、画期的な興奮材料とはならなかった。一度興奮してしまえば、そのビジュアルはもう用無しなのである。
 
 あの時代のエロは、とどのつまり、母性が引き出すもの、そこに母性を見出してしまうもの――なのであった。掻き立てられているのは、秘部の在処ではなく、聖母としての乳房であり、その尻のふくよかさなのである。
 
 それが真の意味でのエロティシズムであるとすれば、あの頃のエロは、まだ可愛げがあったのだ。いや、そう思いたい。
 しかしその履き違えが、かえって今のインターネット時代の“格調の高い”エロ画像・エロ動画の氾濫となり、子どもたちの心の中で炸裂するエロとは、そういうものだという偏見になり、もはや「路上に落ちていた“エロ本”を発見」などという性的な噂話やエピソードは、寓話ではなく単なる有害なアクシデントとなる以外ないのであった。
 
 子どもたちはいつの時代においても、常に「子どもの領分を飛び越えたい」と思うものだが、「飛び越えてはならない」という社会規定が恐ろしくハードで厳しいものになったから、もはやセクシュアルな方面で萎縮した生活を送る以外ないのである。
 それを「哀れな子どもたち」と唱えることもできるが、胸を張ってあの頃のほうが子どもらしい子どもであったと、自慢気に話す気にはなれないのも事実である。
 いかがわしいものを対象とした時、それをいかに個人が良識の心持ちで浄化できるか。その作法なり技法を身につけていない今の子どもたちは、幾分か気の毒ではないか――という意味である。むしろ、大人たちは子どもたちに何も教えなくていいくらいの話である。その点でいうと、フランソワ・トリュフォー監督の映画『大人は判ってくれない』(1959年)は、実に素晴らしい社会風刺的な映画であったなと思うのだ。
 
 兎にも角にも、あの時代の、『平凡パンチ』を隠れ読みしていた切なげな子どもたち世代に、ぜひとも賛辞を贈りたい次第である。

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