おんな雑学

シリーズ

どこの馬の骨だ青沼ペトロ

『平凡パンチ』に囚われた男の哀しい享楽
 

『平凡パンチ』1968年7月8日特大号

 
 エロティックなユーモアとジョークと、たぶんほんとにそうなんだろうなあという科学的な雑学とが、面白いようにマッチして展開する『平凡パンチ』のあるコーナー。それは「おんな雑学」。
 
 ひょっとするとこの「おんな雑学」って、私の勝手な推論だけれど、野末陳平さんが執筆にたずさわっているのではないか。そう思うくらい、記事の趣向がチンペイさんの書き物とよく似ているのだ。
 
 なにはともあれ、「おんな雑学」を紹介する。
 『平凡パンチ』(マガジンハウス)1968年7月8日特大号より、「おんな雑学」(構成・鬼村卓)の誌面を以下、要約してみた。
 

◎ウイークリー・Q&A「トイレにおける男と女の差」

 

 
 こんな質問である。小のトイレの後、直接モノにふれた男性はあまり手を洗わないのに、直接ソレにタッチしない女性が手を洗うのはナゼ?
 
 確かに、世の男性は、大をしても小をしても、手を洗わない人がかなり多い。私の長年の経験では、6割の男性(とくに男の子)は手を洗わず、3割はとりあえず指先を水に濡らすけれど、洗っているという感じではない。残り1割程度が、きちんと手を洗う衛生的な男性。
 いっぽうの女性の手洗いに関しては、残念ながら私、直接それを見たことがない。なので、どの程度なのか示すことができない。しかしながら、まあ洗わない人より、洗う人のほうが多いだろうなあとは思っている。
 
 で、この質問の回答。
《女は水きりにペーパーなどを用い、直接女性自身に手をふれることはないようです》
 としたうえで、申し合わせたように、それに触れていない手を女性のほうが洗うというのは面白い現象だとも述べる。女性はペーパーを用い、男性はペーパーを用いない――つまり、男性は直接指でそれに触れているにも関わらず、どういうわけか「手を洗わない」、ということの面白い着眼点である。
 
 さて、このナゼ――それに触れない女性のほうがペーパーを用いる理由は、アレの構造による、おしっこの出方の違いからきているのだと。
 
 女性のアソコの尿道からおしっこが放出される、その構造上の欠陥(?)から、最終的に女性はペーパーを用いて拭かざるを得ないのだと――。
 で、女性なら、よくわかっていますよね。ペーパーを用いる時、《残念なことにヘアについた霧状のシブキが、手をぬらしてしまうのです。つまり、ペーパーを用いても、女の手には水滴がついて、バッチくなっているのです。そこで女たちは手を洗う、とまあ、こういうワケなのです》
 
 ただし、この記事のオチのジョークが、私にはいまいちちょっとよくわからなかった。こんなことを述べている。
《余談ですが、女のももが太いのは、このシブキが一種の肥料の役を果たしているからでありましょう》
 
 どういうこと?
 女の人の腿が、ダイコンだということなのかな?
 
 それはそうと、男性が直接自分のアレに触れているにもかかわらず、手を洗わないのはナゼ? の理由については、アンサーが記していない。
 まあ、これ、「おんな雑学」ですから、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、私がそのナゼに答えるならば、こういうことであろう。
 
 男性はみな基本的に、自分のアレがそんなに汚いとは思っていない――。
 
 実際、本当にアレは汚くないのだ。それをつまんで放尿しているだけであって、まあ6割の男性は、〈別に汚れてないんだから、手を洗うことないんじゃね〉と思っている。
 ただし、よくあるのは、アレの先のシブキが、たまに手に飛び散ること。そうした場合には、手を洗うということが当然、衛生的に賢明な処置なのだけれど、それでも洗わない人は、自分の衣服で手を拭いているかもしれない。
 そういう人、大人でもいます。結局、面倒くさがって手を洗わないんだな、その手の人は――。子どもの頃からのしつけが、多分に影響しています。清潔さに鈍感な人ね。女性はご用心。
 

◎実践セミナー「おんなのシリ運動 3つの法則」

 

 
 女性のオシリはよく動くらしい。3つの基本的な動きがあるという。
①上下運動
②水平運動
③円運動
 
 ①の上下運動するオシリは、その位置が高く、タイトスカートなんかを穿いているらしいとのこと。
《オシリ全体が一つの塊になって、上下に動くのだ。そのさまはゾウかカバのオシリのように、デンと座り、石ウス」を思わせる》
 
 ②の水平運動にはいくつかのバリエーションがあるという。
▼オシリの振幅が左右同じもの。
▼左右によってアンバランスなもの
▼振り子の揺れように高低があるもの
▼右と左とがバラバラなもの
▼つねにオシリが一つの塊になっているもの
 
《「女とは尻を振る人間である」という定義すらある。子供のときは男も女もシリを振らない。女になるとシリばかり誇張され、動きがきわだつのは、成熟度を表面化させたいと願うからでしょう》
 
 ③の円運動にもバリエーションがある。
▼中心がオシリの中央にあるもの
▼中心がオシリの中央にないもの
▼完全に近い円運動
▼楕円に近いもの
▼支点が腰のあたりにあるもの
▼ヒザのあたりか前にあるもの
 
《オカマ精神を発揮してナオンのシリをトクと観察しイメージの世界を広めよう》
 だって。
 

◎文献学「ハンドの遊戯のニクイ表現―『万葉集』では“手もたゆく”といった―」

 

 
《手練手管、というコトバがある。プロの女性が、ウソかマコトか、すれすれのかけひきをやって、客を釣る手際のうまさをいったものだ》
 
 “手無し”というと、江戸時代ではメンス(Menstruation=月経)のこと。生理期間中の女性は忌避され、家の家具に手を触れることが禁じられていた。
 手管(てくだ)にもいろいろある。江戸時代の遊女は、いやな客と寝るとき、挿入無しで“素股”(すまた)で済ませることも。膣の奥にちり紙をいっぱい詰めて侵入を防いだりとか。
 
 オナニーのことを、江戸時代では、手つるみ、手てんごう、手天井、手開(てぼぼ)、手もすま、手業(てわざ)、手細工、手銃(てづつ)などといった。今と同様、武士のオナニーはたいてい手や掌を使っていたという。
 手つるみは、つるみが番(つが)う、からきた語。《ペニスとわが手がいたす有様を、いかにもうまく表現したと申せる》
 手てんごうは、てんごうが上方言葉でふざける、いたずらする、たわむれるの意で、《夜ごと、むっくりと起きあがり、そりかえるわが一物と、マイハンドとはやさしくたわむれるのである》と。
 手天井は、裸を思い浮かべ、天井を仰ぎながら五本の指を千回ほど動かすので、手天井。
 かきすぎて、手がだるくなったとき、手もたゆたいといった。これは『万葉集』にも出ているとか。
 
 などなど、ハンドのニクイ表現の数々である。

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