大人の恋愛と性に関するウェブサイトです
みなさまへごあいさつ
私は、性の俗悪を容認しないし、性の低俗化も擁護しない。
私は、性の健全と健康に努め、自他のプライバシーを守り尊重する。
多様な性に寛容であり、それに異義を打ち立てる政治やメディアには嫌悪を示し、ノーを突きつけたい。
しかし、企業価値を高めるために、性の多様性に敏感であること、寛容であること、あるいはそうした企業が排他主義の政治に反駁をみせながらも、性に関して一切口を閉ざしている態度をみる面では、「性を語らない」ことが多様な性に寛容であるといえない。むしろそうした場合の多くが、性に対して差別的であることを私は危惧する。
性に関して、大いに語るべきだし、それを単に企業の付加価値的な利益誘導のための道具にしてはならない。
かつて女性の性が売り物にされ、女性性と男性性が何ものであるかを強調し、卑しく差別的であり、多様な性に不寛容であった時代の痕跡が、まだ多く存在している。パートナーどうしの恋愛においては、性的接触の同意が曖昧であったし、多分に女性がその屈辱的な立場に追い込まれていた。健全な恋愛と性の快楽の未来像は、果たしてこれから築けるのであろうか。
このウェブサイトでは特に、あえて旧時代の資料などを提示し、今日の時代に逆行した形をあからさまにしたうえで、様々な提言や課題を語りたいと思っている。
そもそも、子どもではない大人=社会人は、経験的な疚(やま)しさからくる恋愛と性の快楽にタブーの鍵をかけ、心の扉を閉ざそうとしているのではないか。しかし私は、あえてそれをこじ開けてみたいのだ。
こじ開ければ、そこに微量なる恋愛と性の快楽の「真の健全なる姿」が見えてくるかもしれないのだ。
非常に危険を伴う実験であるかもしれない。だからこそ、埋没させてきた疚しい大人の恋愛と性に、私は探求のメスを入れてみたいのだ。
“カゼヒカル”とは風光る。俳句では春の季語である。
私も、疚しい大人の一人だ。
青沼ペトロ