Adultery consultation
『婦人公論』(中央公論社・現中央公論新社)1963年2月号。
この本に関するプロローグは、文藝ブログ[Petro Notes]のこちら。
「愛の相談室」。
読者からの手紙をもとに、その悩みに本誌特約のマダム・マルグリットさんが答えるという趣旨の記事。
寄せられた手紙の内容は、不倫に関する悩みである。「背信の恋に魅せられて」。30歳・会社員。氏名は伏せてNさんとしておこう。以下、手紙の内容を要約する。
彼とのお付き合い
一昨日、彼からの手紙を受け取った。彼は苦悩している。今日返さなければならない約束の手紙を、彼は一人大阪で待っている。
結婚して10年余り。娘が生まれてから、何の不満もなく、倦怠期もいつの間にか過ぎ去ってしまった。静かな夫との3人の生活。何の疑問も感じていなかった。
去年の春、お互いに近況を記した手紙を、彼と交換する。それは些細な冗談から始まったものだった。この交換のきっかけがなかったならば、夫との平凡な人生の歩み方は、今も乱されなかっただろう。
勝ち気で活動的だった私は、家庭と仕事の両立など意にせず、ずっと会社勤めをしてきた。異性の友達も多少いたけれど、落ち着く年齢のせいか、それ以上の感情を持ったことはなかった。世間の人妻の情事だとか、欲求不満の夫婦の話など、何の波風もたたない私たちの家庭には、無縁なものと信じていた。
でも、あれから10か月――。彼と月に二度ほど会う日に、生きがいを感じている。
彼とは、仕事の仕入先で知り合ってからもう数年が経つ。同い年で気軽さがあり、冗談をいい合える仲。お互いに、子どもへのプレゼントだってした。彼の家庭にも時々寄ることがあったりして、それだけの関係だった。
ところが、一昨年の暮れの忘年会の帰り。駅のホームで車を拾い、二人だけになった時、彼は酔っていたせいか、こんなことをいった。
「君が好きだ。けれど、どうしようもない」
彼はそう何度も呟いた。普段とは違い、暗い顔だった。私は彼の手をぴしゃりと軽く叩いた。
周囲の人たちが、それとなく変な目で注目しだしたのもその頃からだった。彼は転勤になり、彼のところへ手紙を出したのをきっかけに、私たちの秘密の文通はその後ずっと続いたのだ。
文通は、最初はお互いの近況報告に過ぎなかったのだが、その日、彼と会った時には、もう今までとは違う、妖しい雰囲気が加わっていた。
たちまち息苦しくなり、お茶を飲んだだけで別れたけれど、なんとなく別れたくない気持ちにもなった。
そうして次の日、彼からの電話があって、休日を利用し、どこか目につかない所でゆっくり話をしたいと告げられ、その日、初めて彼と二人きりの一日を送った。
つらい彼との交際
ある料理屋で言葉少なく食事をした後、私たちはキスをした。信じられないほどの、稚なさで。
友情を壊した怒りと、わけのわからない淋しさを覚えたけれど、それ以後、私の心の中に深く彼が入り込み、眠れない夜などは、あまりの苦しさに絶交の手紙を書き殴ったこともあった。
それからずっと、彼との関係は綺麗なまま続いている。
所詮別れなければならないとわかっていて、深い関係に進みようがない。いっそ彼が紳士でなくなれば、もっと早く終末が訪れただろう。
でも、お互いの理性が、そこまでを許しそうになかった。まるでヘビの生殺しのような状態が続いている。プレイボーイ気質が彼にあれば、かえって別れやすかったかもしれない。
今のところ、プラトニックな恋愛で終わってほしいという気持ちと、これからも友人として付き合いたいと思う気持ちが入り混じって、どうしようもなく乱れている。
家庭を持った者は、たとえプラトニックな愛情でも、他の者に与えてはならないのだろうか。どのようにして自分の心を整理していいのかわからない。別れた後の空しさを考えると、やっぱり今のままで、少しずつ友情の感情にまで後退していってほしいと願う。
夫への愛には自信がある。
表面上、私の生活は以前より明るく振る舞っているから、こんな背信があるなんて、夫は夢にも思わないだろう。
運命であるなら、ひどい運命を恨みたい。逢うは別れの始めとはよくいうが、急に別れないでその時は待つべきだろうか。
彼のために燃やす情熱は、もう理性の彼方にあって、このままでは彼が惨めな気がする。
ある人はいう。男性というのは、自分より優れた女性に対しては、劣等感などで肉体関係まで進まないとか。男の人には、そういう気持ちがあるのだろうか。
現に彼は、私とのことで、初めて女性関係に苦しんでいる。これ以上深くなると、一生あなたのことで苦しむから、肉体関係まで進められないと。しかし、そのためにかえって、精神的に限界まで来ていると――。
いっそ肉体関係を持ってしまえば、あなたも離れるだろうし、結末が早いのかも、と彼はよくいう。
ここは私が気を強く持って、さっぱりと別れるべきだろうか。
マダム・マルグリットさんの回答
本誌特約のマダム・マルグリットさんは、Nさんのそんな手紙に対して、丁寧な、それでいて決して遠回しないいかたではない文脈で、この問題の解決の糸口を示してくれている。以下は、その要約。
結婚しても、家庭を守るだけでは満足しないで、母であっても仕事を捨てない女の人は、性格的にも肉体的にもパッショネイトな人である。こういう人はおそらく、人を愛する時も激しく燃える人なのだろう。きっと歳より若く見える魅力的な人が多いはず。たぶんあなたもそうでしょう。
30歳という年齢は、女の生涯で一番美しい、花なら開ききった濃厚な匂いを撒き散らしているような時期。
そんな中で、平穏な家庭を築き、新鮮な発見も謎もない時、夫の愛撫の手順でさえ先回りして見通せるほど、周囲をそらんじるようになってしまった時、他からの軽い刺戟で、心身が揺さぶられるのは当然のことだ。
だから、あなたと彼のような例は、いま日本中に浜の砂ほどある。
誰しも、自分が恋に落ちた時、自分の恋だけは熱烈なものだとか、神秘的なものだとか、宿命的だと思い込みたがる。
しかし、世の中にもいくらでも起こっている平凡なケースなのだということをよく考えること。そうすれば、むやみに悲劇的に見る愚から救われるでしょう。
私は、人妻の恋を不潔だとも、けしからんとも思わない。生涯にただ一人、男性と結婚し、死ぬまで一度も夫以外の男に心をときめかさなかった女の人のほうこそ、心の襞の少ない気の毒な人だとさえ思う。
しかし、日本人の人妻は、どうも悲壮趣味が強くて、すぐ悲劇的になってしまう。恋を愉しむゆとりもシックさも持ち合わせていない。
一度そうした恋に陥ると、とめどなく理性を失い、まわりを傷だらけにし、誰も幸せにしないで破滅に陥る。そういう例が非常に多い。
ヨーロッパでは、人妻も上手に恋をするが、夫も恋人も、家庭も、自分自身も、周囲を不幸にしてしまう不手際な恋をする人妻は、あんまり感心できない存在なのだ。
もしあなたが、夫に知らせず、家庭を壊さず、彼との恋をスマートに愉しみ、それで幸福になり、いっそういきいきと若返った魅力で夫や子どもを明るく包んでやるゆとりと自信があるのなら、臆病な彼氏を叱咤激励し、さっさと肉体関係を持ってしまうこと。案外彼は、あなたの夫よりも、あなたを肉体的に満足させないかもしれないけれど。
それでも尚、あなたが彼を愛しているのなら、それはむしろプラトニックな恋だ。
いつまでも手を出さないでいる彼に、あなたはじれているでしょう。女は、夫以外の男にも自分が肉体的にどうなのか知りたい――と密かな好奇心を抱くもの。あなたが目を背けている、自分自身の心の中の本当の姿に、目を据えるべきである。
この国では、戦後、急に自由になった女の人の地位とセックスが、まだ権利を主張し続けていて、本来それに伴う責任や義務にまで追いついていないのではなかろうか。
人妻の恋は、それまでの平穏や、社会的名誉や地位などを、一挙に失うかもしれない危険な賭けをはらんでいる。だからこそ、恋の中で一番熱烈な素晴らしいものになる可能性がある。
どうかあなたは、彼を惨めにするとか夫にすまないとか、聞こえのいいことばかり考えずに、自分自身の心の中の曖昧さや、汚らしさ、卑怯さに目を見開いてほしい。
はっきり申し上げて、あなたにはそんな危険な恋をする資格はないと思う。どうか自分を大切にしてほしい。引き返すなら、今だ。
引き返すなら今です
それから一ついいたいのは、人妻はたとえ恋をしても、決して後に残るような手紙などをいっさい書くべきではない。これは恋愛技術の基本である。
今日の恋人が明日、仇にならないと、誰が保証できるだろう。あんなに水も漏らさなかったあなたたち夫婦でさえ、こんな危険にさらされているのだから。
多くの日本人の女の人は、娘時代からやたら恋文を書きすぎる。お互いに証拠を残さない恋をするのが、大人の恋でしょう。
あなたがこれからしなければならないのは、その習慣にしてしまっている他愛ないレターごっこを、今日かぎりで中止すること。本物の恋ならば、そこから本当の恋が始まるはず。1か月ほど、お互いの手紙交換をやめ、もう一度自分の心を見つめ直してほしい。
尚、この恋を精算できるのなら、その時は夫に対して、懺悔したり告白したりしないように。
告白しない苦しさも、あなたの軽い不貞で当然負わなければならない、あなた自身の義務なのだから。何も知らない夫に告白したって、何の得にも贖罪にもならない。
さあ、美しい惑いの年頃を、そのあなたの聡明さで、すっきりと切り抜けていけるよう、私は祈って已まない。
マルグリットさんは誰なのか?
不倫の相談に関しては、もう何の説明も解説もいらないであろう。
ところで、マダム・マルグリットさんは、いったいどんな人か。
おそらくフランス人を装った、架空の人物であろうことは容易に想像できる。
とくに結婚問題に詳しい日本人女性ではないか――と私は勝手に推測するが、“本誌特約”とは、なるほどよくできている。
今でも有名人の不倫があがるたびに、誰それが何をした、誰が何をいった、とあることないことを掻き立て、結局何がいいたいのかしたいのか、よくわからない不毛な情報提供によって、スキャンダルな記事を売ろうとするスタイルがネット上でも蔓延っている。
それと比べて、さすがにマルグリットさん、人生相談の善き回答者であるゆえ、ぴしゃりと心の不断や迷い、あるいはうぬぼれを見抜き、少なくとも恋愛にはそれ相応の責務を負わなければならないことを的確に解いている。本誌『婦人公論』の面目躍如だろう。
そうした自分と相手との間で、しっかり向き合ってこその恋を進展させるのならば、誰も文句はいえない。それこそ立派な恋であり、本物の恋なのだろうという要諦。
恋は素晴らしく美しいものであるがゆえに、傷つきもするし、周囲と対立することもあるだろう。自分を見失いかけるかもしれないし、当然、その責任は重たく、一生続く。
別に不倫の恋でなくても、恋は恋。
とはいいつつ、実際、ほとんどの人が、生涯に自分自身が経験する恋なんて、ほとんど遊び半分の恋が多いことに気づいていないだろうし、その責務を負うどころではないのではないか。
激しい恋、沈痛なる恋とは、実にロマンティックな気分で憧れ、ドラマティックなラブストーリーの渦中のヒロインやヒーローを思わせてくれるが、現実はなかなかそうはいかない。
しかしながら、本誌のこの「愛の相談室」は、実によくできている構成だ。恋愛問題のよすがとなれば、幸いである。